マウンティングに対する過剰反応社会について
相手に自分の優位を強調する行為は、「マウンティング」と呼ばれますが、現代社会は、マウンティングに対する過剰反応社会になっている感じがします。
例えば、ネット上の相談コーナーで、会社の同僚から「部長に飲みに連れていかれて大変だったよ」と言われた場合への対処法として、相手に「それマウンティングですか?」と聞き返しましょう、と推奨するものがありました。
部長と飲みに行った話くらいで、そんな返しをされたら困ります(笑)。
もう一つ私の経験ですが、2年以上無職の後に、大手コンサルに中途入社した頃です。
久しぶりに会った先輩から近況を聞かれて「○○コンサル(大手)で働いています」と答えたら、いきなり「それがどうした!」とブチ切れられたことがあります。
30代無職の「落ちぶれた後輩」の想定外の展開に、思わずキレてしまったのでしょうが、人間の嫉妬心は恐ろしいと感じました。
このように、こちらにそのつもりが無くても、マウンティングの加害者になる可能性もあります。
一方で、現状で、同僚や上司の執拗なマウンティングに苦悩している人もいます。
いちいち、優劣比較アピールや、過小評価してきたり、競争意識を剝き出しにして来る人には、過去に何人も遭遇しています。
こうしたマウンティングに苦しんでいる人のために、マウンティングの本質を理解することが、解決のヒントになると思いますので、科学的な根拠を交えて考察してみます。
マウンティングの科学的な意味
①マウンティングの役割
マウンティングとは「平和的に序列を確認する方法」の一つです。
群れて暮らす動物は、集団内の序列が上位であるほど生存にも子孫を残すにも有利になるので強烈な序列上位になりたい本能(承認・尊敬欲求)があります。
そして、常に序列を巡って集団内部で闘争があります。
人間も例外ではありません。
例えば原始時代にマウンティングが「機能しない集団」と「機能する集団」があったとします。
「マウンティングが機能しない集団」では、序列を巡って暴力闘争や、逃亡等による集団の分裂が絶えないでしょう。
一方で「マウンティングが機能する集団」は、集団内の暴力闘争や逃亡も少なくなり、結果として集団の規模が大きくなります。
そうなれば、他の集団との競争に優位になります。よい狩場、土地を独占できるでしょう。
そうやって、マウンティングが機能する集団が生き残っていきます。
※これを生物学的に「群淘汰」と言います。
みなさん、こうやって生き残って来た人達の子孫である認識を持ちましょう。
②なぜマウンティングされると苦痛なのか
集団の利益になる「マウンティング」ですが「される側」は、不愉快で苦痛が伴います。
理由は簡単で、マウンティングされる → 序列下位 → 旨味が少なく、生存確率が下がる → 不満が高まる というメカニズムです。
でも、集団から飛び出したら生きてはいけません。
つまり、マウンティングは、集団から追放されたり、序列確認のたびに殴られるよりは、ましといった程度で、される側は苦痛と我慢が伴います。
③マウンティングは過激化する傾向
一方、「マウンティングする側」は、承認欲求が満たされますし、秩序がある限り反撃されるリスクがありません。ゼロリスクで気持ちよくなれます。
そのため「マウンティング」は、過激化していく傾向があります。
具体的には、上位者が富を独占したり、下位者を奴隷のように扱ったり、馬鹿にしたりする行為に歯止めがなくなります。
※今でも少し偉くなった途端、すぐに調子にのる人多いですよね。
マウンティングが過激化していくと、いつかは我慢の限界を超え、集団内で大きな闘争や、分裂が起こります。
そうなると、他の集団との競争に負けて、集団ごと淘汰されてしまいます。
人類の歴史は、その繰り返しといってよいでしょう。
③マウンティングの過激化を抑える方法
そこで、人類は、マウンティングの過激化を抑える方法を編み出しました。
一つ目の方法は、マウンティングの形式化です。
マウンティングの形式化とは、礼儀作法、儀式、社会的なルールや構造とすることです。
例えば、江戸時代は、身分制度があり、殿様には土下座するなど、組織内に礼法など厳格な決まりがあり、決まりを破れば「無礼者!」と手討ちにされたりしました。
村社会でも家柄、本家と分家、家族の中ですら男女や生まれ順など、様々な序列と決まりに縛られた息苦しい社会です。
その反面で、自身の境遇とルールを受け入れさえすれば、競争もなく、現在の勝ち組、負け組のような苦悩もなく、平和に暮らしていた時代とも言えます。
※江戸時代をユートピア視する人がいますね。私はまっぴらですが。
現代の社内でも、相手の地位や先輩・後輩、雇用形態(正規・非正規)などにより、態度も言葉使いも変えますし、地位が高いほど、給与も高く、良いデスクと椅子が与えられたり、秘書が付いたり、個室を持てたりします。
これらも序列の確認をしているマウンティング行為と言えますが、社会ルール化し構造的・形式的であるため、それほどプライドが傷ついたりしませんよね。
二つ目の方法が、噂話と陰口です。
マウンティングが過激化してきた上位者に対して、「マウンティングされる側」は、その場で反抗できなくても、裏であることないこと噂話や陰口など、悪評を流すことはできます。
それが重なれば「過激なマウンティングする人」は集団内で孤立してしまうでしょう。
原始社会の死因のトップは、仲間からの裏切り、攻撃です。
そのため集団内で嫌われる・孤立することは、人間にとって最も危険なことです。
例え上位者であっても、遠くに狩りに出かけた時に何が起こるか分かりません。
そこで、上位者に「気前の良さ」、「寛容さ」、「謙虚さ」「公平さ」を求め、理不尽な要求、自慢、威張りちらすことは「危険」かつ「道徳的に良くない」という概念が浸透しました。
さらに、人間は、マウンティングルールの違反者(調子に乗った無礼者)に強い怒りを感じ、袋叩きにしようと虎視眈々と待ち構えるようになりました。
そのため、人間は自己防衛のために、陰口や噂話に強い興味を惹かれるようになりました。
一説には、現代人も会話の70%が噂話らしいです。
SNSがこれほど盛んになったのも、同様の理由のようです。
④日本人がマウンティングに過剰反応する理由
最近、過剰反応が加速した理由は、日本独特の「平等」の概念にあると思います。
現代の社会制度上の平等という概念は、法の下での平等、機会の平等であって、性別や年齢、出自等の差別がないことを意味します。
一方、人間は生まれながらの才能と能力、育った環境に差があり、さらに本人の努力と運によって、結果は差が付きます。
「機会の平等」な社会は、格差があり「結果の平等」ではありません。
ところが、ほとんどの日本人は、平等 = 「結果の平等」であるべき思っています。
実際に、日本独特の年功序列と終身雇用など正社員の中だけですが、ある程度の「結果の平等」の社会を実現しています。
そのため実力差による結果の違いを受け入れることができません。
多くの人は「何かズルをしているに違いない、許せない」と考えます。
例えば、若手が成果を挙げ、上司の覚えもよいとします。
すると、同僚は脅威を感じると共に、プライドが傷つきます。
どんな理由であれ、能力差が明白になり、劣等感を感じた瞬間に強い怒りを感じます。
しかし、有能な若手を叩くには、なんらかの正当な理由が必要です。
そこで、粗さがしをして、適当な理由をでっちあげていくわけですが、「マウンティングルール違反」は、叩く理由として使いやすいネタの一つです。
「部長と飲みに行った」という話に「マウンティングされた」と怒る人のカラクリは、こうした構造にあります。
「あいつ生意気」「最近、調子に乗りすぎ」という噂だけで、周りも攻撃に同調してくれるでしょう。
実際に、様々な調査で、自分が損してでも、相手の足を引っ張る行動を日本人は顕著に取りやすい傾向にあるようです。
※行動心理学上のスパイト行動と呼ばれています。日本伝統「出る杭は打て」です。
マウンティングへの対処方法
①マウンティングに対する基本姿勢
前項で生物学的な観点からマウンティングの本質を考察してきたことから分かる通り、動物と人間に違いはないですし、原始社会と現代社会も人間は変わっていません。
つまり、一生懸命マウンティングしてくる人も、やたらに礼儀マナーにこだわる人、「マウンティングされた」と過剰反応する人達も、自覚がなく本能的な行動をしているのです。
「人間もサルの一種」ということを思い出しましょう。
マウンティングに対処するためには、こうしたメカニズムを理解した上で、動物を観察するような気分で、よーく観察し、相手の行動の意図を理解することが大切です。
「マウンティング」に対して、チープな道徳論で怒ったり、恨んだり、あるいは「それマウンティングですか?」と返すやり方は、人間関係をこじらせるだけです。
理想で言えば、自分と相手、さらに組織全体すらもコントロールして、皆を幸せにする良い方向に導くことが、本当の思いやり、大人の対応です。
マウンティングへの対処方法の基本姿勢は、そうした考えを持ちましょう。
②悪意あるマウンティングの見分け方
マウンティングされた場合、相手に「悪意」があるかどうか注意しましょう。
例えば、相手が、とにかくあなたのことが気に入らなくて、あらゆる方法で、組織内での評価を下げ、孤立させ、あわよくば組織から追放をたくらむような意図をもっている場合です。
あるいは、序列下位かつ従属状態に押し込み、皆がやりたがらないことをやらせたり、スケープゴートや踏み台にするなど、いいように利用しようとするケースもあります。
相手の悪意を判断するのは困難ですが、見分けるためのヒントがあります。
マウンティングは、相対的に優位に立つため「自分を上げる」か「相手を下げる」の二つの技法があります。
マウンティングは大体が、「上げ・下げ」の複合技できますが、相手に悪意がある場合の特徴として「下げの要素」が強く、また本人以外、周囲の人にも、あなたの下げ評価をばら撒くケースが多いです。
基本的には理由は後付けで、なんでもこじつけて、あなたを下げ、それを周囲にバラまきます。
また、普段は仲良くしていても、あなたが失敗したり弱った時にここぞとばかりに、行動を始めたりします。
これら悪意があるマウンティングを黙認すると、相手に誤ったメッセージを送ることになり、さらにエスカレートします。
断固とした態度を取るか、逃げるかしないとだめです。
相手に悪意がないケースは、例えば、仲の良い同僚や上司が、昇進や資格合格、あるいは彼女・彼氏ができたとか結婚や出産などを報告するような場合です。
これは「自分上げ」の要素がほとんどで、あなたに対する下げの要素は少ないです。
そのため、多少の自慢も含まれていても、自分の喜びを共有したい意識もあります。
こういう時に「それマウンティングですか?」と返したり、怒ったりするのは、思いやりに欠ける行動です。
相手に悪意のないケースは、「おめでとう!」と相手の成功を自分のことのように一緒に喜んだり、「すごいですね~」と素直に感心したり、「いいな~」と羨んで見せた方が、双方にとって幸せになります。
③対応方法は二択
日本的メンバーシップ型組織は、終身雇用で人材の流動性も少なく、ずっと同じメンバーで過ごしますので、日本企業は「動物園のサル山」に例えることができます。
一つ違うのは、日本企業というサル山は、柵はありますが、逃げようと思えば逃げることが可能な点です。
だから、その気になれば、サル山から逃げ出し、居心地のよい他のサル山を探したり、誰かの世話にならずに自力で生きることができるでしょう。
しかし大多数は、外の世界に恐怖心を持っています。
一方でサル山にいれば食べ物にはありつけるので、みんな残っています。
そして、そのサル山が世界のすべてとなってしまいます。
その状況から、マウンティングへの対応方法は、大きくは以下の二択になります。
序列競争・マウンティングの世界を極める:今いるサル山で生きる覚悟を決めて、序列競争・マウンティングの世界を極める生き方
序列競争・マウンティングの世界から降りる:柵を乗り越えて、他のサル山に移ったり、誰かの世話にならず食べ物を自分で手に入れるような自由な生き方
これが大体の人が、一度は経験する人生の二択になります
人生の満足度とは「過ごした時間の満足度」と考えた時に、どちらの方が楽しいのか、後悔が少ないのか、考えてみましょう。
サル山に残る場合、「出世(序列競争)に興味がない」、「俺は一匹狼」的なスタンスは、お勧めしません。
そもそも、会社の世話になりながら「俺は一匹狼」ということ自体が、言葉的におかしいことに気づきましょう。
その選択は、社内で悪意に囲まれて不遇な人生を送る羽目になるでしょう。
残ると決めたら、もうサルになりきって、社内で仲良しクラブを作ったり、序列競争にしのぎを削った方が楽しいと思います。
次に、序列競争・マウンティングの世界から降りて、外の世界で自由に生きたい人は、自分の意志で柵を超えて外に出なければなりません。
結局、怖気づいて柵を超えられないことがないように、能力を徹底的に磨いて、外の世界に出ても生きていける存在になりましょう。
おわりに
このコラムを書いたきっかけですが、30代最後の独立駆け出しの頃に、ほぼ初対面のおじさん達から、学歴や会社自慢とともに「君なんかにできるわけない」、「僕の経験上、絶対うまく行かない」的なダメ出しをされまくった経験があるためです。
そして、こうしたおじさんは、決まって社員数万人の有名企業OBだったのがとても印象に残りました。
でも、しばらくすると、マウンティングする人ほど実力が低いことが分かりました。主張の根拠が「長年の大企業での経験」では、とてもビジネスをやれるレベルではありません。
と同時に、この根拠のない万能感に溢れた、年功序列を逃げ切った超ラッキーなマウンティング爺の心理や行動に興味を惹かれ、観察してきました。
そして、以下のような考えを持つことが分かりました。
・人間の価値は、ステータス(学歴と所属企業)で決まる
・プロ意識、顧客に価値を与えて報酬を受け取る意識も能力もない
・会社を中途退職した奴は裏切り者かつ負け組に違いない
・もし格下の若手が成功したら許せない、身の程を思い知らせたい欲求
・格下の人間は、俺の踏み台になるべき
※甘言で近づいて、無償労働させようとする人達もいます。
実際に、不快な思いをさせられて音信不通になる若手も多いですし、半分くらいは不安に耐えられず1年も続かず再就職してしまいます。
※私の場合、逆に自分がやっていける自信につながりましたが(笑)
その時、サル山気分というか、江戸時代的な身分感覚で生きているんだな~と感じたものです。
現代の「なりたい職業ナンバー1」が公務員ですから、日本は士農工商の身分社会で、みんな貧しく、村社会という江戸時代の再興に向けて進んでいるような気がしますね。
というような感じで、マウンティングについて、実例の観察の成果と、生物学的な成り立ちから、本質的な部分を解説してみました。
最後に一言、「マウンティング、観察すれば面白い」
今後の人生の選択にご参考になれば幸いです。