収入への満足度は同僚との相対評価で決まる

  皆さんは現在の収入に満足しているでしょうか?あるいは、何をもって満足の基準としているでしょうか?
個人的な経験からは、同僚との相対評価で決まってくるケースが多いと思います。

 どうしてそうなるのか、私の事例で解説してみます。
(この記事は2020年3月(新型コロナパンデミック)以前)に書き溜めたものです)

私の事例

私が新卒で入社した建設コンサルタントで働いていた時代ですが、学生時代の同級生の大手ゼネコンやコンサルに行った人から、初めてのボーナスで100万貰ったとか、景気のよい話を聞いていましたが、「いいな~」とは思いましたが、会社に不満を持つとか転職しようとかそういう気持ちは全くありませんでした。
他社のことは、別の世界で実感がなかったからです。

 しかし、同僚の給与額には興味がありました。
勤務していた会社は、新卒から部長まで非常に細かく50段階くらいの職位等級に分かれていて、毎年少しづつ職位を昇進していくようなシステムで、「ザ・年功序列」って感じでした。また、職位等級に併せて給与額が決まっていました。
職位等級が変わっても大した給与額に差はつきません。しかし、同僚の給与額や賞与額を聞いただけで、組織の中での自分の評価や順位が把握できたのです。
つまり、「給与額=人事評価」であり、昇進も収入も定年までの将来を左右するのですから、みんな興味深々でした。

 ある先輩などは、同期の中で自分だけ昇進できなかったため、あまりのショックと怒りで、会社を休んだ人もいました。
また、私が新人の頃、私の教育担当だった課長がパソコン画面に「私の人事評価」を表示させたまま、どこかに行ってしまい、私の人事評価 丸見え事件が起こったことがあります。
その時の、私の評価はひどいもので、ほぼ最低点でした。先輩たちから「おまえ、これはやばいよ!」と冷やかされていました。
「下働きしかしてないのに、なんの根拠だよ」と、この時は、さすがにブチ切れそうでした。

そんな感じで「給与=人事評価」で同僚と比べて多い少ないと、みんな一喜一憂していました。

 そんな会社も建設不況で経営破たんして消えてしまうのですが、会社がつぶれる最後の時まで、処遇や評価をめぐって不満や出世競争があったそうです。

なぜ収入の満足度が相対評価で決まるのか

  なぜ、収入の満足度が相対評価で決まるのかと言えば、ほとんどの人間は承認欲求レベルで生きているからです。
「俺は出世やステータスに興味はない」「自己実現欲求レベルで生きている」という人が多いのですが、実際は違います。

 ここで質問です。 あなたは年収600万 or 800万どちらの満足度が高いでしょうか?

普通は年収800万と答えるでしょう。

ところが、
・同僚の年収が500万で、自分だけ600万
  ・同僚の年収が1000万で、自分だけ800万
上記のケースではいかがでしょうか?
現実には、600万の方が満足度が高くなるはずです。
だって、自分だけ100万も多く貰えていたら優越感を感じて気分がよいでしょうし、例え800万貰えても、自分だけ200万も少なかったら面白くないでしょう。劣等感を感じざるを得ません。
人間だったら当然そういう感情を持つと思います。
要は、年収(給与、賞与)そのものが、社内での価値を点数化したものであるからです。
特に、日本社会のように、年功序列の終身雇用で、人材の流動性が低い会社は、外の世界を知らない人達ばかりで構成され、先輩が選んだ後輩に順繰りに権力を譲り渡していく、そういう世界に生きていると、比較対象が社内だけになってしまいます。
だから、多くの人が社内の評価や自分の給与が同僚と比べて多い少ないで一喜一憂して生きることになります。
先にも述べた通り、会社が解散してなくなる寸前まで競争があったという話は、沈没し始めている船で船頭争いをしているような話です。

問題点について

 年功序列の給与体系ですが、右肩上がりの時代で、若手が多い時代は上手くいったのです。年収1000万の価値がある人材でも、年収500万で同僚より数万多くして、「君は優秀だ」とおだてていれば満足してくれました。
しかし、現状の高齢化した組織では問題ばかりになります。

まず、人事評価に少しずつ差がつかないものの、40歳半ばも過ぎれば、一部の勝ち組と多数の負け組に分かれて来ます。年収、役職、ライン・非ラインで差がつきます。
サラリーマンが一番嫌なことは、後輩や年下が上司になって指示されたり、収入でも負けることでしょう。その状況が現実になってくるわけです。
日々、屈辱を感じるでしょう。しかし、辞めたくても、外の世界を知らない人は不安も、ローンも、家族の反対もあり辞められません。
もうどうやってもひっくり返せないと思っているので、モチベーションも無くなって、我慢し惰性で過ごす人が増えます。
優秀な若手を叩いたり、足を引っ張り、自分の仲間に引きずり込もうとします。
「日本人の40代~50代の幸福度が最も低い」というのはそういうわけです。

 そして一部の勝ち組の人ですが、社内の出世競争の勝者として、優越感を感じて暮らします。外の世界を知らないので、会社のステータスと自己が一致して、根拠のない万能感に溢れてしまいます。
中には、なぜか「自分はマネジメントの専門家」と信じて、年功序列なのに「我が社は実力主義だ」と主張するような人も出て来ます。自分たちが「すごい」のであれば、問題意識は持てません。現状維持だけを考えて生きるようになってしまいます。

社内はもちろん、協力会社や外部の人間にも威張ってしまうようになります。

 私が中小企業診断士を取得して経営コンサルタントとして独立した時に、「俺は世界の○○社の元部長だ!」と威張るおじさんをたくさん見て来ました。
当時30代後半だった私など、いつも青二才扱いされていました。
そんな人で、外の世界で実際に通用した人は僅かです。もうまるっきり自分で考えて行動できない人ばかりです。

 企業間の競争で考えてみましょう。

 「モチベーションを失った多くの中高年社員」と、「社内しか知らず根拠のない万能感に溢れた管理職・幹部層」を抱えている企業が競争力のある組織と言えるでしょうか?
フラットで間接人員が少ない組織で、実力・成果に応じて報酬を払う企業との競争に勝てるでしょうか?

安心してください。建設コンサルタント業界というのは、国際競争に全く晒されていません。参入障壁も高く、国内の新規参入者に脅かされる可能性もあまりありません。
恐らく、旧態依然の企業でも生き残っていけます。

しかし、従業員を幸福にする魅力のある組織とは言えないと思います。
長期的には、じり貧になっていくでしょう。

 現状、社内で苦悩している人は、是非、他の選択肢を考えてほしいです。

 ご参考になれば幸いです。

こちらの記事も参考にどうぞ「建設コンサルタント技術者が年収2000万を達成する方法」

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