人生「無理ゲー」or「楽ゲー」問題について
現在の日本社会を、生きていくのが難しい社会であると考える人がいます。
それを絶対にクリアできないゲームに例えて「人生無理ゲー」と表現したりします。
確かに、収入格差、世代格差、学歴格差、正規・非正規格差、地域格差、男女格差など、現状社会は、様々な格差の固定化が進みつつあり、複数の格差に抑え込まれた人が、そのハンデを乗り越えるのは、大変な困難が伴うと思います。
一方、少数派ですが、現在の日本社会は「生きやすい」、あるいは「簡単に成功できる」と考えている人もいます。
その場合「人生楽ゲー」と表現します。
独立や転職などで成功した人達に「人生楽ゲー」派が多いと思います。
※「環境に恵まれた」自覚がないだけの人という主張もあります。
このように、現状の日本社会は、人生「無理ゲー」と「楽ゲー」派の両極端な意見があります。
私の場合は、「人生楽ゲー」派です。
日本社会は、安全で、飯が上手くて、社会保障もインフラも良くて、生活コストも、その気になれば低く抑えることができます。
また、仕事、ビジネスにおいても意外とチャンスに溢れる社会であると思っています。
人生楽ゲー派の立場から、無理ゲー派を眺めてみると、日本は、暮らしやすい上に、チャンスに溢れるのだから「好きなことやって暮らせばよいのに」と思いますが、なかなか、そういう心境にはなれないみたいです。
その根本原因として、無理ゲー派は、「人間の不完全性」の理解が不足していることにあると思っています。
「人生無理ゲー」と感じる人は、「人間の不完全性」を知らず、社会や組織に過度な期待をしている傾向が強いと思います。
そこで、無理ゲー派、人生が上手くいかないと悩む人のために、理解しておくべきことを述べようと思います。
人間の不完全性について
まず、感情論は抜きにして、現実の「人間の不完全性」を認識することが重要になります。
生物学的に見た場合、人間の現状は、以下のような水準にあります。
①日本人の三人に一人は文章を理解できない
ほとんどの日本人は義務教育のおかげで文字は読めます。ただ、読解力の国際調査では日本の成人の3人に一人は、ごく簡単な文章も理解できないそうです。
また、150文字以上の文章を理解できる人は20%程度という調査もあります。
※日本は、これでも世界では読解力が高い国です。
「読解力=思考能力」に近いので、多少複雑な事象を理解したり、検討したりできる人は、少数派ということです。
また、大学入試は、ほぼパターン暗記で行けますし、ペーパーテスト以外の入学方法もあります。
並レベルの頭脳なら、幼少から訓練すれば、有名大学にも入れるでしょう。
だから、高学歴の集まっている大企業でも、思考力の低い人は結構な比率で存在しています。
※ちなみに、この長文コラムの読者の方々は、読めるという事実だけで上位10%に入っていると思います。
②「バレなければ何をしても大丈夫」と考える人がそこら中にいること
「バレなければ何をしても大丈夫」それで周囲をいくら苦しめても平気な人達(いわゆるサイコパス・ソシオパス)は、人口の4%程度は存在する(欧米の場合)と言われています。
男女比で、男性は3倍、経営管理層は4倍と言われていますので、恐らく管理職の数人に一人くらいは「バレなければ何をしてもよい」というメンタリティを持っています。
※こういうの要素は、白黒ではなく、誰もが少なからず持っています。
実際に、目的のために手段を選ばず、ライバルを陥れ、顧客を騙し、下請けや部下を虐げて成果を上げて出世した人を、誰もが一人や二人は知っているでしょう。
そういう人達は社会の至るところに潜んでいて、利用される危険が常にあります。
③誰もが自己評価は高いこと
先に述べた通り、まともに文章が理解できないレベルの人も多いですが、その自覚がある人は少数派で、人間、誰もが自己評価は高いです。
これは、「文章を理解できない」 = 「論理的思考能力が無い」ので、現実を客観視することができないためです。
結果として、低レベルな人ほど、現実を自分に都合よく解釈し、結果として自己評価が高くなります。
※ダニング・クルーガー効果と呼ばれています。
④世の中は、まだ分からないことだらけ
宇宙の90%以上はダークマターとダークエネルギーが占めると予測されていますが、この空間にも満ちているはずの宇宙の9割を占める物質は、まだ正体不明なのです。
重力の正体も未解明です。(解明できたらUFOが作れます)
天気予報は、スーパーコンピューターやAIを駆使して予測されていますが、明日の天気すら外れますし、台風の予想進路も当てになりません。
当然ですが、地震予知もできません。 現在の科学水準もその程度です。
医学や科学や工学分野の多くは、「経験学」的要素が強く、現場計測や実験等による数値解析から原理モデルや理論式が推測されているだけで、本当のところの原理は良く分かっていないものが多いのです。
特に、心理学、経済学、経営学などの理論は、実証実験が困難で、再現性に乏しく、ほとんど根拠がないものもかなりあります。
世の中の「専門家や評論家」と呼ばれる人々は、そうした根拠のない理論を正しいと信じて、自分達がその分野を知り尽くしているような気になっている人も多く、それが大きな間違いを生んでいるのが社会の実態です。
「本当は分からないことだらけ」というスタンスで、物事に挑める専門家は少数派です。
人間の意思決定の不完全性
「合理的な意思決定」とは、現実を客観的に認識し、長期・短期のメリット・デメリットを定量的に比較・評価し選択されるべきで、「個人の願望」等の主観が入ると、まともな意思決定はできません。
しかし、人間は、合理的な意思決定ができる脳構造を、もともと持っていません。
人間の意思決定には、以下の三つ特徴があります。
・「自分の利益」を最優先
・「既得利益、短期利益」を優先
・理論の飛躍に矛盾を感じない
意思決定の手順は、まず、「自分の願望」を結論にして、後から正当化しています。理論が飛躍しても気にしませんし、本人達に自覚もなく、合理的な判断をしていると信じています。
「全体の利益」になることでも、「自分の利益」が少しでも毀損することを許容できせん。
自分にとって「都合の悪い意見」は、ひたすらデメリットを強調し反対し、相手にレッテルを貼り個人攻撃をします。
荒唐無稽な主張を曲げず、もう丸っきり議論になりません。
どのような組織でも、こういう稚拙な意思決定の個人が過半数を占めるので、将来的に「全体の利益を最大化する決定」には、困難さが伴います。
だから、多くの企業の経営や、国の政策についても、何も進まない状況に陥るのです。
※参考コラム:「やらない理由を探す人々の研究」
そして、上手くいったら「自分の実力」、上手くいかなければ「社会が悪い」「人生無理ゲー」と自分を慰めるといった感じで、現実を自分に都合よく解釈するのが、人間の本質的な姿です。
人間の不完全性を感じた事例
私自身が、新卒で建設コンサルタントに入社直後から、上司(教育担当)から1年間無視され続けた経験があります。※人事評価もダントツの最低点でした
思い当たる理由は、私が学生時代に技術士一次試験に合格し「30歳で技術士取得」を公言していたことに対して、「生意気、気に食わない」という気持ちと共に、手に負えなくなる前に、無能のレッテルを貼り、組織から排除しようとしたのではないかと思います。
※この時、「有言実行的」なスタンスは危険と学びました。
しかし、入社数年後には、かなり稼ぎ始める私が、もし辞めていたら、会社への億単位の損害行為に当たるはずです。
でも人間は、「会社に数億の損害を与えてでも自分の利益を優先」してしまうものなのです。
最初に「こいつ生意気、最低評価」と結論を決め、それを正当化するために「粗さがし」をしていたのでしょう。
先に挙げた「まず願望を結論にして」、「こじつけと正当化」のプロセスになります。
このような事例は、他にもたくさんあります。
建設不況時に、会社が経営危機(債務超過)に陥った時に、若手グループで、生き残り策を会社に提案しましたが、管理職グループから断固拒否されてしまいました。
その反対理由が「君は管理職経験がないから」、「親会社がつぶすわけない」という謎理論、その内「もし潰れたら、全員が親会社の正社員になれる」という待望論まで出てきます。
さらに、社内でバッシングを受けるようになってしまいました。
※参考コラム:「経営改革でひどい目に遭った話」
そして、「みんなで頑張ろう」的な「精神論のみの改革案」が、別のグループから出てきて、皆がその改革案に飛びつくのです。
「こんな根拠のないやり方では、会社が潰れる」と警告しても誰も聞く耳持ちません。
会社が消滅に向かっているのに、現実を理解しようとせず、希望的観測を盲信する姿に「人間の不完全性」を痛感したものです。
そこで、私は、虚しくなり会社を辞めました。
※その後、予想通り会社は潰れました。アホすぎる。
その後、大手コンサルや国の研究機関で働き、さらに、中小企業診断士を取得し、経営コンサルタントとして独立し、多くの企業の実態に立ち会いましたが、先に挙げた「人間の不完全性」に関する確信は深まるばかりでした。
※参考コラム:「やらない理由を探す人々の研究」
人生「楽ゲー」な理由
私の場合ですが、前記のような体験で、生物観察するような気分で「不完全性」を強く認識することができました。
そこで、以下の過程で「人生楽ゲー」の結論が導かれたのです。
①社会は不完全
社会に出てみて、自分が想像していた以上に、現実の組織は、無駄と非効率に満ちていること実感しました。
また、人間は不完全で、皆ポンコツ(自分も含めて)ということで、自分自身も気分が楽になると同時に、自分や他人の欠点について、あまり気にならなくなりました。
②「人生楽ゲー」と確信
世の中、無駄だらけのダメダメ企業で溢れていますが、それでも多くは存続しています。
最初の会社も、東日本大震災まで会社が持てば、今頃は絶好調だったでしょう。
多くのそうした組織を見て、ビジネスで成功するには、斬新なアイデアは必要なく、「まともな仕組み」を作ることだと実感しました。
また、個人でも「顧客に価値を与える能力」さえあれば、転職でも独立でもできて、かなりの報酬を頂くこともできます。
別に「スーパーマン」である必要はありません。
つまり、世の中は、無駄だらけ、だから逆にビジネスチャンスに溢れているはずです。
少なくとも、何かに従属せず、自力でサラリーマン同等の収入を稼ぐことは難しくないはずです。
だから「人生楽ゲー」と確信しました。
「今後は、自分で考えて、やりたいことをやって暮らす」と決心しました。
おわりに
このコラムで言いたいことは、「願望を結論にして、理由は後からこじつける」なんて思考回路の人達に囲まれて、その評価を期待したり、人生を預けていたら、どれほど優秀な人材でも「人生無理ゲー」にしかならないということです。
社会人は、様々な常識で組織に縛られています。
「仕事はつらいもの」、「愛社精神、かけがえのない仲間(同僚)」、「中途退職は、無責任、裏切り行為」、「独立・転職で失敗したら人生終わり」
でも、これらは幻想です。人間はもっと自由に生きて良いものだと思います。
そして、思考力があり、主体的に行動できる人間には、「人生楽ゲー」の世界が広がっていることも理解できるでしょう。
また、あまりにも、つまらないゲームを「クソゲー」と言いますが、「人生クソゲー」にだけはしたくないものです。
日本は、本当は、安全で暮らしやすく、チャンスに溢れる社会です。
おまけに、日本は、最優秀層が組織に縛られ挑戦しない社会なので競争も少ないのです。
やりたいことがやって暮らせる社会なのに「我慢しているのは勿体ない」という気持ちから、今回のコラムを書かせていただきました。
ご参考になれば幸いです。