出世に最も重要なことは「周りの納得感」

 「出世したいですか?」と聞かれたら、多くの人が「出世欲はありません」と答えると思います。

 最近は、「出世(昇進)したくない」と答える人が、過半数を占めるそうです。

 でも、実際は、本心ではないと思います。(事情がある場合を除き)

 もし、「出世したくない」という人が、同期の中で、自分だけ昇進できなかったり、後輩が抜擢されて自分の上司になったりしたら、多分、キレると思います。

 理由は、何十万年も前から、人間社会は、集団序列の上位の方が生存競争に有利であり、そうやって生き残って来た子孫である私たちには、ほぼ確実に序列上位になりたい願望(本能)があるからです。

 でも、出世欲を表に出すと、周囲の人間は警戒心を持ってしまいます。

 そこで「出世したくない風」に振る舞いながら生きているのです。

ということで、皆が気になる「日本的組織で出世する方法」について、説明したいと思います。

1. 出世に重要な要素

①出世、抜擢される時の理想形とは

 日本人のイメージする理想の「部長に抜擢される時」とは、こんな感じでしょう。

 出世欲はないものの、まじめに仕事を続けていたある日、「君を部長に抜擢することが幹部会で決まった」と知らされます。

 「先輩達を差し置いて、私が部長なんて、とんでもありません」と一旦は、辞退しようとします。

 しかし、「この難局を乗り切るには、君が適任だと幹部会で決まった」、「部をまとめられるのか君しかいない」などと、説得されます。

 すると、後輩達から「○○さんが部長になってくれるなら安心です」と言われます。

 同僚達も「おめでとう! お前が部長になるなら、誰も文句はないよ」と言ってくれます。

 そこで、ようやく「みんなが、そこまで応援してくれるなら、俺も期待に応えなくては」という感じで、その話を承諾します。

 つまり、組織の上からも下からも推挙されて「出世欲はないけど、抜擢されてしまいました」という形です。

 経済誌に載っている、上場企業の社長の出世物語は、ほぼこの形であり、これこそが、出世の理想形だと心得ましょう。

②どうやったら「出世の理想形」に乗れるのか

 理想形で出世した上司に、その秘訣を聞けば「俺の実力が認められたから出世した」、「文句を言わずに頑張れば、いつか評価される」などと助言します。

 

 でも、皆さん、先ほどの出世の理想形にあった、組織の上も下も推挙してくれたのは、「実力が認めたから」だと思いますか?

 欧米ような、ジョブ(ポスト)を求めて人材が動き回る社会においては、「実力が認められる」→「良いポストに就職できる」→「出世、成功」という方法論は成り立ちますが、日本的な年功序列の村社会での人選で、「実力」が主要因になり得ると思いますか?

 「周りが推挙した」→「皆に実力が認められて出世した」と信じてしまう所が、一つの組織しか知らない人にありがちな思考回路ですね。

 どこの会社の幹部も「わが社は実力主義」と主張するわけです。

 皆が推挙してくれた理由は、上層部、先輩、同僚、後輩のそれぞれ個人にとって「納得感」があるからです。

 「実力」は、「納得感」の一要素ではありますが、弱いです。

 では、出世の「納得感」とは何なのか、次に説明します。

2.出世における納得感とは(ステータスと実力)

ここで質問です。

皆さん、以下のA,Bどちらが「納得感」がありますか?

A:先輩が上司になる    B:後輩が上司になる

A:先輩の方が、給与が多い B:後輩の方が、給与が多い

A:先輩が上司になる    B:中途採用者が上司になる

 ほとんどの人が、Aの方が「納得感」があると思います。

 

 その理由は、「悔しくないから」です。

 

 日本社会は、年齢の序列に敏感で、日本の雇用制度は、経験年数と共に能力が上がる前提です。(職能性と呼ばれます)

 つまり、先に入社した人ほど、実力があり、格上であるべきという共通認識があります。

 そのため、格下なはずの後輩(年下)や中途採用者が「上司になる」or「給与が多い」という状況は、本人の無能が証明されることになるので、不満や、怒りを感じてしまいます。

 次に、「後輩が上司になる」状況で、以下のA,Bどちらが納得感があるでしょうか?

A:後輩(東大卒)が上司になる     B:後輩(自分より低学歴)が上司になる

A:後輩(技術士)が上司になる     B:後輩(無資格)が上司になる 

A:後輩(社長の血縁者)が上司になる  B:後輩(何もコネなし)が上司になる

 これも、Aの方が納得感があります。

東大卒or技術士or社長の血縁者が上司になる状況は、「後輩だけど仕方がないな」という感じで悔しさが減ります。(不愉快ではありますが)

 その理由は、実力以外のステータス要素(コネ、学歴・資格)が、出世の理由であれば、「恵まれていて」、「がり勉」で「出世欲の塊」だったからと見なせるので、「本当の実力は俺の方が上」という本人のプライドを保持できるからです。

 つまり、「コネ、学歴、資格」のステータスは、相手のプライドを傷つけにくく、出世の「納得感」として重要な要素です。

 逆に、人間は、「実力で負けた」と見なされる状況(Bの状況)が、一番、プライドが傷つきます

 ※不遇な人が「自己責任論」に激怒するのも同じ理由です。

 そのため、人間が「相手の実力」を認めることは、まずありません。「Bの状況」は、実力で格下に抜かれた状況になるため、大多数が納得してくれません。

 仮に、圧倒的な客観的数値を出して、実力で出世できた場合は、同僚・上司に最大の屈辱与えることになり、社内の憎悪の対象となるでしょう。

 ※結果、一旦は出世できても、いずれ失脚するでしょう。

 つまり、納得感の強さは、「コネ」「学歴」「資格」> 「実力」 です。

 

3.人望について(最強の納得感)

 日本企業の人物批評において、「あの人は人望がある」とか「あいつは、仕事はできるけど人望がないからな~」などという言葉が使われます。

 また、「あの人は、マネジメント力がある」とか「あの人には誰も付いていかない」というような言葉も、「人望があるorなし」に近いニュアンスがあります。

 日本においては、「人望」、「マネジメント力」「人が付いていく」というのは、その人に備わる能力「人の器」として、語られます。

 昭和の管理職は、人望を高めるために、「論語」やら「歴史の偉人」や「男の美学」みたいな自己啓発が盛んでした。

歴史小説に感化されて「西郷隆盛」や「徳川家康」気分のオジサンだらけの愉快な時代です。

 

 現在は、「人望」を「マネジメント、リーダシップ、コーチング」に置き換えて、MBAや中小企業診断士を一生懸命勉強する人が多いですね。

 昭和の管理職よりは、かなりマシですが、これらは「人望」とは、何かが本質的に異なっていると思うので、人望が高まる効果は、あまり期待できません。

※先のステータスの「納得感」としては、有効です。

ここで質問です。 

以下のA,Bどちらの上司に付いていきますか?

A:常に味方になってくれる上司    B:信賞必罰で私情に流されない上司

失敗を隠蔽してくれる上司        失敗をすぐに公にする上司 

A:部下の利益を優先してくれる上司    B:顧客と株主の利益を優先する上司 

 多くの人がAを選ぶと思います。

 そりゃ、常に味方になってくれて、場合によっては不正やミスを隠蔽してまで部下を守る上司、部下の都合や利益を、「会社の利益」より優先してくれるような上司の方がよいですよね。

 だから、このタイプは「〇〇さんが部長になってくれるなら安心です」「俺達〇〇さんに付いていきます」と、皆から推挙されてしまいます。

 逆に、Bタイプの、常に顧客と会社の利益を優先し、信賞必罰で、ノルマに厳しく、融通が利かず、無能は叱責され、ミスや不正はすぐに会社に報告され、部下を守る気の無い上司は、嫌ですよね。

 つまり、こういう上司は、欧米的には「優れたビジネスパーソン」ではありますが、職務が契約上決まっておらず、無能でも解雇できない日本企業においては、人望がなく、部下から嫌われて、怠業されたり、悪い噂を流されたりで、いずれ、失脚します。

 「あの人には誰も付いていかない」となってしまいます。

 

 では次に 

 

以下のA,Bどちらを部下に持ちたいですか?

A:上司を尊敬してくれる部下    B:生意気な態度の部下

A:上司の意見に必ず賛成する部下  B:上司の意見に理詰めで反対する部下

A:上司に手柄を譲る部下      B:上司に手柄を譲らない部下

A:自分と趣味が同じ        B:自分とは趣味が合わない

A:一生、先輩に尽くす部下     B:将来、自分を見下しそうな部下

 これも当然Aタイプの部下が欲しいですよね。

 常に上司に尊敬を示し、意見には必ず賛成し、手柄は上司に譲ってくれる。趣味が同じで話して楽しいし、将来、自分より出世しても、恩義を忘れず、役職を用意してくれたり、天下り先を準備してくれる部下は、誰でも持ちたいし、能力的には平凡だったとしても、将来は出世させてあげたくなります。

 逆に、Bタイプの部下、クソ生意気で、上司の意見を理詰めで論破してくるし、手柄は決して譲らず、共通の趣味もない、つまらない部下、しかも、将来、出世したら、自分をリストラしそうな部下は、たとえ、圧倒的な実力があっても、「自分の目の黒い内は、あいつだけは出世させない」となってしまいます。

 つまり、日本的な人望という概念は、会社を発展させるとか、マネジメント能力とかリーダシップは、関係ないです。

 要は、「社員の各個人にとって、長期的に利益になるか」という観点でしかありません。

 村社会での人気投票的な部分があります。

 そして、「人望」は、納得感の最強の要素です。

4.出世のメカニズム

 日本企業は、年功序列で終身雇用、長老、先輩後輩、新入り、よそ者、といった感じの村社会的、コミュニティです。

 

 そのような中で、出世や抜擢する人選は、「上司にとっての都合の良い部下」、「部下にとっての都合の良い上司」、「悔しくないか」等の、先に挙げたA、Bの選択の総和です。

 要は、納得感の合計の大きい人が、出世できるのです。

 株主の利益、企業価値の最大化等は、全く関係ありません。

特に、経営と所有が分離された組織、上場企業や公務員において、その傾向が顕著です。

 ちなみに、納得感の有効度は、「人望」>「コネ」>「学歴」、「資格」>「実力」といった感じです。

 例えば、東大卒、博士号と技術士持ちで、社長の縁者で、さらに人望がある人は、実力は並レベルでも、将来の社長候補として、周りが、どんどん押し上げてくれるでしょう。

 皆さん、「実力」だけを磨いても、効果が低いです。

 力の入れ処に気を付けましょう。

 納得感の各要素を、増大させるには、以下が重要です。

「人望」は、常に上司を立て、何があっても部下を守り、社員にとっての、良い上司、良い部下になりましょう。そうやって自分の味方を増やしていく必要があります。

合理化やリストラなんて言い出したらダメです。

 「コネ」は、経営幹部と血縁者になれなくても、仲良しには、なれます。

 上司や部下と、共通の趣味を持ち、公私ともに一緒に遊んで、仲良しクラブを結成し、お互いを、引きたてあいましょう。

 「学歴」は、後からつけても「ロンダリング」と言われてしまいますが、やらないよりはましです。

 社会人大学院、博士など、揃えていきましょう。

 「資格」は、技術士を複数取得した上で、MBAや中小企業診断士等を取得し、経営知識の証として、ステータスを高めましょう。

「実力」は、納得感としては弱いですが、並以下では話になりません。

 上位40%くらいに入っている必要があります。

 また、さりげないアピール等も重要な要素です。

 出世術とは、上記作業の一生かけた長期戦です。

 体を鍛え、心身を健全に保ち、全方位で、納得感を積み上げていく「生き方」です。

5.出世の再現性について

私のケースでは、30代前半の頃は、8人の部の売上の4割、利益の7割を私一人で稼いでいた時期があります。

 理由は、「大きくて難しい業務が来ると、みんな逃げる」ので、私がそういう業務専門になっていたからです。

 でも、これだけの数値的結果を出し続けても、私の実力を認めない人達が多数派です。

 直属の上司が、「楽でおいしい業務をやっているだけ」と言い回っていたくらいです。

 まあ、当時の私は、Bタイプの部下だった(笑)ので、上司としては、「あいつだけは絶対に認めない」という感じになったのは、仕方がない気もします。

 それでも、私が技術士に合格したら即、部長に抜擢されることに決まったので、案外、地道に取り組める人間には、再現性は、高いのかもしれません。

 でも、世の中には、天性のAタイプ、「出世術の天才」みたいな人って実在します。

 大技、小技を繰り出して、時には闘争もしてという感じで、サラリーマン道をエンジョイできる人がいます。

 

 とてもじゃないですが、私には真似できないですし、無理にやってもエンジョイも出来ないと思います。

 私にとっては、他に、もっと楽しそうな「生き方」がたくさんありますし、適性もないのでドロップアウトすることになりました。

おわりに

 このコラムを書いたきっかけですが、キャリア相談において、大企業への転職希望の方に「中途入社組が、出世するのは難しいと覚悟した方がよい」とアドバイスすることが多いのですが、それを聞いて、不機嫌になったり、転職を諦めたりするケースが、稀にあるからです。

 こういうケースは、本当の転職動機が「自分の処遇に不満」だからなのだと思います。

 「会社は私を評価しなかった」と勤務先を恨む人は、結構いますね。

「あいつらを悔しがらせたい」が転職目的な人ほど、転職企業の「ステータス」にこだわりますし、「出世の困難度」を助言すると、不機嫌になるといった感じです。

どこかのエージェントみたいに、耳ざわりのよい、夢のある話だけすれば、儲かるのかもしれませんが、当社は、入社後に失望することがないように、耳の痛いことでも事前に伝えるように心がけているのですが、理解を得る難しさを感じています。

「誰でも中途組が自分の上司になったら嫌だから」と説明すると「そんなはずはない!」と怒り出した人もいました。

 それで、日本企業的な出世のメカニズムについて、どうやって説明したらよいのか、ずっと考えていたのですが、この度、言語化して発表してみることにしました。

 人生の大部分を一つの会社で過ごし、出世して、老後に「俺は○○社の部長だった!」と言って回る人生に、適性があって、さらにエンジョイもできる人は、そういう人生を、堂々と進めばよいと思います。

 でも、適性もなく、ただの苦行になっているのに、諦められないのは、何かに縛られているようです。

 現代日本社会は、変なブライドさえ捨てれば自由に暮らせる良い社会であり、自由で楽しい「生き方」がたくさんあることに気が付いて欲しいと思います。

 ご参考になれば幸いです。